古事記の間。

42/104
前へ
/119ページ
次へ
さて、大国主の国譲りが完了すると、高天原のアマテラスへ報告がなされます。 この報告を聞いたアマテラスは息子のオシホミミノミコトに「葦原(あしはら)の中つ国が平定されたので、あなたが統治してきなさい」と命じました。 これに対しオシホミミは「天降りの準備をしている最中に子供が生まれました。名をアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギノミコト(以後ニニギ)といいますが、この子を天降りさせたいと思います」と答えました。 そして、アマテラスはオシホミミの言う通り、ニニギに天降りするよう命じました。 そして、ニニギは天降りをするわけですが、なぜアマテラスの息子・オシホミミではなく、孫・ニニギが地上界へと降り立ったのでしょうか? この「天孫降臨」に関しては様々な説がありますが、天皇家の系図を見ると、子を差し置き孫に天皇位を譲った例が一つだけあるんですよね~。 自分はこの説が一番しっくりきたのですが、説明すると長くなるし、ある程度しっかり説明したいので、この説はまた別の機会にするので、本に載っていた他の説を少し紹介したいと思います。 まず一つが、宮廷固有の「タカミムスヒとニニギを主役にした伝承」と、伊勢神宮に結び付く「アマテラスと子・オシホミミの伝承」があり、史料により指揮系統がバラバラであった為、これが一つに統合された結果、アマテラスの孫・ニニギが天下りをする事になったという事です。 カタカナばかりで人物がグチャグチャになっている方もいると思うので(書いている本人もややこしくなる…)、ニニギを中心に少し人物を整理しますと、アマテラスはニニギの祖母であり、タカミムスヒはニニギの外祖父にあたり、アマテラスの子・オシホミミとタカミムスヒの娘との間にできた子がニニギです。 他には「二世紀末の倭国争乱勃発時にニニギの父・オシホミミが戦死した為、天皇氏はニニギに相当する人物を抱えて戦を逃れ、南九州を放浪していた為」というのがありました。 これがいまいちよく分かりませんが、天皇氏という氏族があったのでしょうか? 二世紀末というと卑弥呼の時代より半世紀以上は前で、基本的に卑弥呼=アマテラスと自分は推測しているので、いまいち納得できませんが、皆さんどうでしょう?
/119ページ

最初のコメントを投稿しよう!

377人が本棚に入れています
本棚に追加