古事記の間。

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もう一つ挙げておくと、これは自分は面白い考えだな~と思ったのですが、新しく国をスタートさせるには、新しく生まれた子の方が良いという事で、嬰児(えいじと読み、赤ちゃんの事だと思えばいいと思います)であるニニギを天降りさせたとする説です。 これは「嬰児神の信仰」というものらしく、天降りする神は嬰児として新たに生まれ、祖霊を継ぐという宗教観念によるものらしいです。 そして、神社の祭礼の時に選ばれて奉仕する稚児は、嬰児神の名残りらしいです。 たしかに、子供(嬰児・稚児)には大人には無い霊的な力が備わっていると考えられているし、現代にも何かにつけて「大人には見えないが、子供には見える」とか言ったりしますし、自分が四国の金比羅山に行った時も、頂上で子供が「血がついた手が飛んでる」みたいな事を言って、親が「そんなの無いよ」みたいな会話してました。 自分も少しビックリしましたが、人間には歳と共に失ってしまう霊力みたいなモノがあるのかもしれませんね~。 さて、このニニギの降臨について古事記は「ニニギはアマテラスとタカギの命により、高天原の岩の神座を離れ、天にたなびく八重の雲を押し分け、天降りの道を威風堂々と進み、天浮橋に立ち、聖なる所作を行った。そして、筑紫の日向の高千穂のくしふる岳に降りた」と記してあります。 このニニギが降臨した「高千穂」ですが、これが現在のどこに相当するか?は謎のようで、様々な説があります。 昔から有名な説としては「宮崎県臼杵郡の高千穂岳」と、「霧島連山の中の高千穂峰」との二説があるようで、霧島連山の高千穂は宮崎県と鹿児島県の境に位置しているようです。 また、近年の研究によると「ニニギが稲作技術を持って笠沙御前(かささのみさき)に上陸したが、シラス台地で稲作に適さなかった為、弥生中期から後期頃に臼杵郡の高千穂に入り、西都から霧島へ移動した」という説があるようです。 しかし、ニニギは高千穂について、古事記の中で「ここは、韓国(からくに)に向かい、笠沙の御前にまっすぐなところで、朝日も夕日もよく当たるところだ」と述べているらしく、「韓国に向かい」という部分を重視すると、前述した二つの候補地は当てはまらず、「筑紫は北九州の筑紫であり、日向は筑紫の日向峠である」という説もあるようです。
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