古事記の間。

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さて、話を神武の東征へと進めていきますが、ウガヤフキアエズノミコトとタマヨリビメとの間にできた四人の子のうちの一番末っ子がカムヤマトイワレビコノミコトで、後の神武天皇となる人物ですが、イワレビコには様々な別名があり、それぞれに意味があるようなので簡単に説明をしておきます。 その前に、カムヤマトイワレビコノミコトという名について説明しておくと、「カムヤマト」とは聖徳を表す美称であり、「イワレ」は「磐余」と書きますが、これは大和の地名であり、「磐余地方を占領した男」という意味があるようです。 次に別名を書いていきますが、まず「ワカミケヌノミコト」と「トヨミケヌノミコト」という名前がありますが、「ケ(毛)」は穀物を意味するらしく、穀霊である事を表しているようです。 次に「ハツクニシラススメラミコト」という別名がありますが、これは「初めて国を統治した天皇」という意味で、第十代・崇神(すじん)天皇も同じ名前なんですよね~。 ちなみに、漢字が変換できない字が多いので、当て字は書けませんでしたが、字は違います。 なぜこのように同じ名の天皇がいるのか?というと、本には「神武と崇神は同一人物だった」という説と「神武は伝説上の最初の天皇で、崇神は事実上の最初の天皇であった」という説が書いてありました。 この本には載っていませんでしたが、神武と崇神は天皇の血統が違うという説もあり、つまり崇神が皇位についた時に神武の血統は途絶えたという事であり、天皇家は俗に言われている「万世一系」ではないという事になります。 ちなみに「神」と付く天皇はもう一人おり、応神天皇といいますが、この神という字が付く天皇が即位した時に「天皇の血統が変わっている」という説もあり、この説をとるならば天皇家の血統は三度途絶えている事になります。 さて、神武東征とはイワレビコ(神武)が三人の兄と共に日向を出発し、最終的に大和朝廷を築いた物語ですが、神武東征には史実であるという説と、史実ではないという説があり、本にも書いてあったので、本を参考にしながら紹介していきたいと思います。
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