古事記の間。

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まず史実ではないという説ですが、この説は津田左右吉(そうきち)という方がさきがけとなっているようです。 まずこの方曰く「長い間、大和朝廷とは縁がなく、領地ではなかった日向・大隅・薩摩半島などの未開発地が皇族発祥の地となっているのはおかしい」「東征の経路を見ると、戦って地方を征服した逸話がない、これでは単に都を九州から大和に移しただけである」「大和における活躍は、それ以前の経路から一転して具体的な記述が増える。これらは大和のそれぞれの地に温存していた伝承を神武伝承に肉付けしただけと考えられる」と述べ、結論として「神武東征物語は、ほとんど中味のない輪郭だけのものである」という事でした。 しかしこの説は、否定するのを前提としたような説で「なぜ神武東征の話がつくられたか?」という説明が不足しているように思われますし、この説は終戦直後あたりに唱えた説なので、皇国史観嫌悪が生み出した説と言えるかと思います。 他には神武天皇は天武天皇をモデルにしているという説もあり「神武天皇の東征説話と壬申の乱(672年)には、経路など共通する点がいくつかあるので、壬申の乱の勝利によって、神武天皇の話が生み出された」という説があります。 次に神武東征は史実であったとする説として「神武東征を否定する説が誕生したのは、大和建国をめぐる考古学資料が欠如していた事が大きな要因であり、神武天皇に相当する人物が九州から大和へ東征してくる史実は存在したはずだ」と主張し「近年の新たな研究によると、前方後円墳および大和建国は三世紀まで逆上る可能性があり(以前は四世紀)、大和建国と邪馬台国の時代はほぼ重なり、古代史観が大きく変化した現在では、過去の一般常識は通用しなくなっている」と関裕二という方は言っています。 ここで内容を書くと長くなるので省略しますが、この人の本は自分も少し持ってますが、少し難しいですが、なかなか面白いので良かったら読んでみてください。
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