古事記の間。

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話を物語に戻しますが、イワレビコ(神武天皇)が熊野にさしかかった時「ここから奥は荒ぶる神の多い所なので入ってはいけない。今、天から八咫烏(やたがらすと読み、三本足の烏)を遣わしたので八咫烏の道案内に従い、その後を進めばよい」とタカギノオオカミ(高木大神=タカミムスヒノカミ)からお告げがありました。 そして、イワレビコはお告げの通りに熊野山中・吉野山中を抜けて大和に入り、ナガスネビコを破り、橿原(かしはら)の地に宮を建てて、大和朝廷を興しました。 この「八咫烏」は戦国時代においては、雑賀孫市で有名な鈴木氏の家紋として有名ですが、八咫烏は鴨(かも)氏の先祖と言われているらしく、鴨氏は京都の賀茂神社の神官を務める土豪であり「我々の先祖のカモタケツノミノミコトが大鳥と化し、神武天皇を導いた」という伝承を伝え、これが神武東征伝説に組み込まれた時に、鳥が巨大な八咫烏とされたようです。 鴨氏は古代の宮廷において、主殿という役目を担当していたようで、行事の時には松明(たいまつ)をかざして、天皇の先導を務めていたようです。 少し話が戻ってしまいますが、イワレビコの東征ルートを書いておきます。 まずイワレビコは日向を発ち、筑紫(福岡県)へと旅立ちます。 そして、豊国(大分県)の宇沙に着き、この土地の者が歓迎してくれて御もてなしを受けます。 そして、ここから筑紫の岡田宮へ辿り着き、ここに一年間滞在します。 そして、ここから東に向かい安芸(広島県)の多け理(たけり)宮に着き、ここでは七年滞在します。 イワレビコは、さらに東へと進み、吉備高島宮(岡山県)に辿り着き、ここには八年滞在します。 ここからさらに東へ向かおうとすると、亀の背に乗り、釣りをしながら近寄ってくる奇怪な人物に遭遇します。 イワレビコが「あなたは何者だ?」と尋ねると、この人物は「わたしは国つ神であり、海の道に詳しいので、あなたの案内役となりましょう」と答えました。 そしてイワレビコは、この人物を船に乗せて「サオネツヒコ」という名を授けました。
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