古事記の間。

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そして、イワレビコは吉備から東へ向かい、浪速(なみはや)の船着場を経由し、白肩津(しらかたのつ)という港に着きました。 この港には、登美(とみ)のナガスネビコが軍隊を引き連れて待ち受けており、イワレビコに戦を挑んできました。 イワレビコはナガスネビコに応戦しますが、イワレビコの兄・イツセは敵の矢を受けて負傷してしまいました。 負傷したイツセは「わたしは日の神でありながら日に向かって戦った為に深手を負ってしまった。次は紀伊半島を東へ回り、日を背に負って戦おう」と言い、紀伊半島を南下し、南側からイワレビコを攻めようとしましたが、イツセは紀伊の男の水門(おのみなと)という場所で死んでしまいました。 イワレビコは男の水門をさらに南下し、紀伊半島を左に回って熊野村に辿り着きました。 しかし、ここでイワレビコの身にアクシデント?が発生します。 ここで大きな熊が出没し、熊が姿を消すと、イワレビコ一行は気を失って倒れてしまいました。 この熊は荒ぶる神の化身だったようで、イワレビコ達はその邪気に触れてしまったようです。 この時、熊野のタカクラジ(高倉下)という人物がひと振りの刀を持って現れ、それを奉るとイワレビコ達は正気を取り戻したようです。 この刀は一体何かというと、タケミカズチがアマテラスとタカギの命によってタカクラジに届けられ、さらにタカクラジがイワレビコに届けるよう命じられた刀でありました。 少し話が脱線しますが、現代感覚で「武器」というと、どうしても戦争など殺伐としたイメージが強く浮かび上がってしまいますが、古代史を見ていると、むしろその逆のイメージの方が強烈なんですよね。 もちろん、古代においても戦になれば武器を手に戦を繰り広げています。 しかし、刀などの武器は、邪気を払ったり、鎮魂・祟り(災害も含む)封じの為に使用されたり、奉られたりする場合が非常に多く、元々は戦争道具というより、神聖なる物であり、むしろ戦争などの善からぬ事態の発生を防ぐ為の物(もちろん戦となれば手に取りますが)であったように思います。
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