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「ならどうして、しあさってなんだ」
声がふるえる。
心の準備は、すこしずつしていくつもりだった。
なのに、こんなにもはやく……
「お父さんが言ってたんだけど、亡命を仲介してくれる人の都合で、今回のチャンスをのがすと半年後にのびるって」
半年後だなんて、長すぎる。
そのあいだにゲシュタポにみつかったら、いっかんのおわりだ。
ルートたちの家族は、はやくここを出なければならない。
それがどうしようもないのだと思うと、気分がおちこむ。
「わかったよ」
「ごめんね」
「ううん」
一瞬、ルートを責めたい気持ちになったが、首をよこにふる。
ルートはなにも悪くない。
諸悪の根源は、ユダヤ人殲滅をかかげるナチスとダイラーじゃないか。
人間はみんなおなじ構造をした生き物なのに、宗教やはだの色で差別するなんて、曲がってる。
そんな不条理な思想がなければ、ルートの家族は逃げる必要なんてないのに……それに、父さんも……
ただ、よく考えればナチスがなければ俺たちは出会っていなかっただろうし、俺にいたっては生まれてすらいないはずだ。
皮肉だな。
俺はうわくちびるをかんだ。
「明日も、きてくれるよね?」
「ああ、かならず」
そう言って、俺たちは別れた。
“位置”の力で瞬間移動して、隠れ家のわきの道路の地下水道の中に飛んだ。
ここは普通に使われているからにおうし、昨日の雨で水かさが増している。
呼吸するだけで不快になるので、アジトの方向にある旧水道へと急いだ。
ひとりで歩いていると、いやでも考えごとをしてしまう。
モヤモヤと霧のようにはっきりしない感情が、あたまの中でうずまいている。
ルートと離れたくない。
それが正直な気持ちだ。
だが、それは非現実なワガママで、事実、ひきとめる権利も勇気もない。
ひきとめたところでどうにかなるという話でもない。
かりに力を使って実力行使に出ても、彼女を不幸にさせるだけだ。
だから、不本意であっても結論は見えている。
3日後、俺はなにも言わずにルートを見送るだろう。
それが、正しいから。
ただ、ただ……父さんを失った時とおなじ喪失感への恐怖に胸がしめつけられて──ひたすら、苦しいんだ。
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