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真っ黒な着物を着た女。
流石に中忍という立場で在った彼は表面上では余り驚きを見せなかったがその心境は計り知れ無い程動揺していた。
手に汗が滲む。
薄暗い光りに浮かぶ幻想
着物と同じ黒髪。
美しく凛とした貌。
深い吸い込まれそうなほど艶やかに濡れた瞳。
思わず息を呑む。
芸妓の様に華やかでも無く、おいらんの様に派手さも無い
が、なんて美しい・・・
戸惑ったまま立ちつくしていると女は手を引いて敷いてあった布団の上に男を座らせる。そしてはっきりとした口調で、しっかりと目を見て話し出した。
「私は貴方が此から何処へ行こうとしているかお聞きしております。
お身寄りも無い事も。
・・・帰還の可能性が極めて低い事も・・・。」
四角い和室が一瞬凍る。
数秒の沈黙を置いて男が
「だから黒い服を?」と訊くと
「そうですね。里から離れた前線で亡くなれば
其処で、その場で処理されるのが常。
葬儀なんてものは存在しません。
だからこそ、私は貴方の為に喪に服しているのです。」
「・・・・・・」
「不吉であると言われてしまえば其れまでですが
今後私の他に喪に服す人間は現れないでしょう。」
黒に吸い込まれてボヤボヤと溶けそうだった男の瞳は、スッと我に帰り
「・・・・・・帰ります。
俺は、貴方に自分の命の重さを押しつけたくない。
前線へ行く事は話すつもりなんて無かったのに・・・。」
「申し訳有りません。けれど此処の主人に限らず
長く女郎で在れば雰囲気で大体解ってしまうものなのです。
そして危険な運命と孤独から少しでも忍の方達を手助けし、送り、その存在を証にしてゆくのが私の務めでも御座います。
私の様なものではご不満かも知れませんがそれでも宜しければ
どうぞ、何もお気に為さらず今宵私をお抱き下さい。」
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