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その日連れていかれたバーは、落ち着いた雰囲気のクラシックが流れる静かな場所だった。
個室制になっていて、店のマネージャーが正宗の古い知り合いで特別に部屋を用意してくれたのだと言う。
美味しいカクテルとこういったバーでは珍しいボリュームのある料理に舌鼓を打ち、正宗の部屋へ向かう頃には程よい酩酊に忍の足元はふらついたが、体を支えてくる大きな手の平のぬくもりが心地よく大人しく身を委ねた。
忍がねだるまま新たに開けられたワインは、半分も飲まないうちにテーブルの片隅で存在を忘れられた。
赤く熟れた唇に誘われたのだと嘯く正宗の囁きはワインより甘く、熱を持った肌をそれより熱い手の平が撫でれば息が詰まった。声を殺そうとしてつい唇を噛んでしまうのは忍の癖だったが、その度に正宗はやわらかい舌で舐め溶かすかのようにねぶった。触れられることで零れる声が、まるで自分のものではないかのように高く響くのが忍は苦手だったが、正宗は何が楽しいのかわざと忍が弱くなってしまう場所を執拗に触れては攻め立ててくる。
そうして、ぐずぐずになってしまうのを見下ろしてはうれしそうに笑い、力の入らない忍の体をいいように扱うのだ。
互いの境目がわからなくなってしまうほどの熱に、そこから溶けていってしまいそうな錯覚さえ覚えて恐怖に震える忍を、正宗は子供でもあやすかのようにくちづけながら最奥に燃えるようなと表現するに値するだけの灼熱を残してゆくのだった。
ふっと、風を感じて覚醒する。
瞼が重いのは、散々そこから水を零したせいかもしれない。あるいは、寝過ぎてしまったのも要因ではあるかもと首を動かせば、ベッドの左側にある窓が開いていて風がレースのカーテンを揺らしていた。先程感じた風の正体だろう。
差し込む陽光はあたたかで、フローリングの床をあたためている。影が短いのは太陽が高いところに昇ってしまっているせいだろう。
甘怠く痺れる腰を庇うように上半身を起こせば、昨夜意識を失う間際に感じていた体の不快感はまったく感じず、正宗が後処理をしてくれたのだろうと理解した。アルコールも入っていたせいか、行為のあと気絶するように眠ってしまったようで記憶は曖昧だ。
六畳しかない寝室はベッドとクローゼットと小さな棚しかなく、部屋の主は今頃リビングでコーヒーでも啜っているのだろう。
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