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カウンター越しに話す正宗の存在は忍にとっても都合のいいものだった。楽しげに会話をしていれば声をかけてくる者も少なく、何より接客を仕事としている正宗の話はおもしろかったし沈みがちな忍の気分も晴れた。
そんなある日、高校時代の友人から一年ぶりに連絡があり、懐かしさに電話を取った忍は何故着信に気付いてしまったのかと自分を呪った。
――それは、彼のひとが先日結婚したという知らせだった。
目の前が真っ暗になる、という表現をひとはときに用いるが、まさか己がそれを体感する羽目になるとは思ってもおらず、その日は大学での勉強に身も入らずふらりと立ち寄ったバーで許容量を超えたアルコールを摂取し正宗に心配をかけた。
正宗に彼のことを話したことはない。話す気分にならなかった。
だからその日、浴びるように飲酒する忍は初めて酒の量を窘められた。そして促されるまま過去の苦い恋愛を暴露したのである。
正宗は、それを蔑むことも笑うこともせず、忍が思いもよらない言葉をかけてきたのである。
『付き合ってみない? 俺と』
あのときは、本当に笑い飛ばす間を外したと思ったのだが、いつになく真剣な表情を浮かべる正宗に返す言葉も浮かばず唖然と彼を見上げた。そして、正宗がぶつけてきたおもしろいとしか言いようのない理論に、それまで胸に燻っていた熱が沈下してしまったのである。
それが、四月も終わりに差し掛かったゴールデンウイーク前の出来事である。
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