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女が走っていました。
何処から何時から。そのようなことは女も忘れる程の時間唯、走って居ました。
其処は花の並木でした。
何処までも続く花の邦でした。
あたり一面、空も地も見渡す限り薄紅色で、何処から何処までが境目なのか、皆目見当がつきません。
それとも、花が腐らず積もり、柔らかな底辺や空気を形成しているのかも知れません。
ずぶずぶとやわらかく、女は何度も脚をとられました。
花の汁でずるずるぺちゃぺちゃ音がして、
音といえば其れと女がする激しい息遣いしか有りません。
けだしに赤い襦袢を引っ掛けて、珊瑚の数珠を首に下げ、女は只無表情に、自動的に奔るだけのもののように、
すばやく右足を出せば左足を出し、ダラリと両腕の力を抜き前のめりに、
何処を目指すこともなく奔る機械のようにうつくしく奔っています。
青白い肌の色に、不自然に濃い唇の色と黒い長い髪がつよくつよく映えています。
うつくしいきかいのようでした。
眼は前を見ているようで降っている花弁を追っているようであり、
実のところ何も見ていないようでありました。
黒い渦を巻く眼と髪に花がはりつき、はがれて落ちてゆきます。
花はふりそそぎ勢いを増し、息をするのも困難でした。
雪が降るほどの音もさせず、シインとした中の息遣いと、踏む度に噎せ返る芳香を撒き散らす露を生む花弁の底辺を荒らす
べちゃべちゃとした音が女を奮い立たせているようでも有りました。
花の木の幹が見当たらなくなるほどのふぶきの中、うすく唇を開き喘ぐような息をして、
息をして、息をして、息をして。
恐怖から逃れたいようでも有りました。
沢山の理由を内包した宇宙のように空虚な体を女はもてあまし、
ひろいひろい虚ろを持つ同じような花の森の果てに、女は辿り着くことを期待しているのでした。
辿り着けたらすべてが溶けてなくなってしまえると。
女は其れを望んでいました。
女はみずからの、なにかを宿すためにある「偽の空虚」が恐ろしくてさみしくて堪らないのでした。
花の下の強い芳香を運ぶだけのなにもない風になってしまいたいのでした。
他に理由など、露程にもありはしないのでした。
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