カフェ・オ・レ

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 規則正しい、それでいて徐々にテンポを上げていく鼓動を胸の奥に感じながら、璃子は待ち合わせのカフェに入った。三月も半ばを過ぎた月曜日。昼休みはとうに終わった時間に、混雑する店内にはその様子とはそぐわないロウテンポのバラードが流れている。  レジでアイスカフェオレの注文を済ませると、璃子は羽織ってきた上着を脱いだ。いくらか肌寒いとはいえ、外はもう春の陽気が漂っている。そんな中を急ぎ足で歩いてきたため、店内の弱くかけられた暖房すら熱気に感じるほどに体全体が火照っていた。しかし彼女の頬が紅潮しているのは、外気と店内の温度差だけが原因ではないだろう。薄く化粧を施した目元もわずかだが赤みが差している。  ドリッパーの中でゆっくりと滴り落ちる濃い琥珀色の液体を眺め、璃子は手下げたキャンパス地のトートバッグから薄いピンク色の携帯電話を取り出した。  サブディスプレイに緑色のランプが点滅しているのに気がつくと、璃子の目つきが変わった。ゆっくりとテンポを上げていた鼓動が一気に強さを増し、口内がからからに乾く。ごくりと生唾を飲み込み、璃子は携帯電話を開いてみた。 ――車にガソリン入れてくから遅くなる。  メールの本文を読んだ途端、璃子の肩が落ちた。彼女の顔は先ほどまでの赤みが薄れ、表情も沈んでいく。あんなに強く跳ねていた心臓も、空気が抜けたボールのように急激にその動きを遅くしていった。細いため息が璃子の口から漏れる。様子の変わりぶりに驚いたのか、片付けていた店員が心配そうな表情で彼女の顔を覗き込んだ。璃子は少しだけ首を振ると、店員に会釈をして顔を上げた。遅くなる、たったそれだけだ。そう自分に言い聞かせ、ちょうどカウンターに出されたカフェオレを受け取ろうと手を伸ばした。すると――。 「キャラメルシロップ入れるんだろ?」  聞き覚えのある声に、璃子の心臓は飛び上がった。肩越しに伸ばされた黒いジャケットの腕が、いつの間にかカウンターのアイスカフェオレを受け取っている。鼻腔をくすぐるタバコの匂いが、頭の中を甘く麻痺させていく。袖の先の手首には、白く浮き出た数針分の縫い傷が見えた。ゆらり、と璃子の視界が揺れた。 「三年ぶり。卒業おめでとう、璃子」  喉の奥からこみ上げるものをぐっと飲み込み、三年分の想いを込めて璃子はゆっくりと振り返る。
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