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僕は本が好きだ。
装丁のデザインを楽しみ、表紙とタイトルにその内容を期待し、一人静かにページを捲る紙の感触が指に心地よい。数多ある書籍の内、一生で出会える本は一体幾つあるだろう。そしてその中から心震わせる逸品に巡り合えたら、それ以上の幸せはない。そんな幸せを味わえる場所、本屋が一番のお気に入りだ。
しかし最近、何故か物足りない。捲っても捲っても、在り来たりで知った世界ばかりだ。新たな知識を得る喜びも得られなくなって久しい。
ソファに身を任せ、なぜだろうと腕を組む。リビングに流れる音楽はラプソディ・イン・ブルー。かの作曲家ガーシュインはたった三週間でこれを書き上げたと言う。重厚なオーケストラのサウンドだがなかなかにリズミカルで、跳ねるようなピアノの音が僕のインスピレーションをかきたてた。
そうだ。物足りないのならば、自分が書けば良いではないか。この名曲を書く以前にしっかりとした下地があったガーシュイン同様、僕には大量の本と知識のストックがある。よし、新しい世界を書いてやろうじゃないか、と僕の心は興奮で震えた。
そして僕は小説家になるべく、執筆を開始したのである。
それから一か月。僕は携帯電話を片手に執筆に勤しんでいた。
浮かんだフレーズや展開を忘れないうちにメモし、そして形にするには携帯電話はとても便利なツールだったし、何より執筆場所を選ばない。読み返すことも容易だ。
始めはメモ帳だけ使っていたが、徐々に人に読んでもらいたい欲求が高まり、今では携帯電話専用サイトで作品を公開している始末だ。ぽつりぽつりとだが感想を頂けるのも執筆意欲向上に役立つ。
ある日のこと、僕は珍しく図書館へ足を運んだ。特にどうという理由もない。性懲りもなく市内の本屋を巡り尽くし、いよいよ行く宛がなくなったからというのが正しいかもしれない。
相変わらず本屋では新しい世界との出会いはない。自分で執筆するようになってからは、どの小説も全て同じような展開と結末に見える。僕の作品は絶対あのような展開、世界にはするまいと決意を新たにさせるだけだった。
図書館の大きな棚の前に立ち、僕はおもむろに一冊の本を取り出した。背表紙にはいかにも在り来たりな世界の話らしいタイトル。鼻で笑いながら無造作にページを捲る。
――僕は絶句した。
僕の世界がいかに在り来たりで小さいことか、と。
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