1888人が本棚に入れています
本棚に追加
/92ページ
―春―
麗らかなイメージとはかけ離れていると、小町(こまち)は思う。
連日の雨、雷、暴風に仕事が増えるばかりだ。
只でさえ、この庭は広いと云うのに。
どこからどこまでが庭なのか、その謎は10年経った今でも判らない。
掃いても掃いても、咲き乱れる桜の花は、地面にへばり付いてしまう。
去年は良かったのに。
黒いシャツも、焦げ茶色の長いスカートも、白いエプロンもびしょ濡れ。
眼鏡に打ち付ける雨で前が見えない。
一つに結った髪からしなだれた数本が頬に貼り付いて離れなかった。
まだ寒い春の空気に、小町は何度も何度もくしゃみをして、溜め息ばかり吐いている。
でもこれが仕事。
拾って貰った身なので、文句は言えない。
眼鏡の水滴を拭い、見上げた先のお屋敷の窓で、こちらを眺めている少女と目が合った。
雨を知らない暖かな屋内で、少女は巻き髪を指先で弄りながらニヤニヤと笑った。
我が儘で傲慢。
お金持ちで、不自由を知らない綺麗なお嬢様。
猪鹿紅(いのしかべに)は、独りぼっちだった小町を救ってくれた恩人である。
例え小町が、どんな虐めを受けていても、逆らえる事等出来ない。
独りよりマシだったからである。
最初のコメントを投稿しよう!