18人が本棚に入れています
本棚に追加
牢獄内の『あいつ』は壁に寄り掛かり、顎髭を撫でながら退屈そうに欠伸をしていた。彼の部下二人は、ベッドに座り込みながらもこちらを見つめていたが、あまり真剣に聞いている風ではなかった。ただ物珍しそうに口をぽかんと開けて見ているだけだ。彼らは、わたしの話になど一切興味がないのだ。それでもわたしは、解ってもらおうと弁解を続けた。
「夫にしてもそうです。あのままでは駄目だったんです。夫自体に問題はなかった筈なんですよ? でもあのまま平穏を演じ続けていたら、わたしの方が耐えられなくなっていました。そうすれば、悪夢は必然的に夫にも降り懸かったでしょう。そう言う意味で、夫を間接的に救おうとしたが故の苦渋の選択だったんです。でもまさか、他の痴人ならいざ知れず、夫にまであんなものを渡してしまうなんて……。本当に想定外だったんです、信じて下さい!」
「もういい」と『あいつ』がぽつり言った。「もうお前はここにいる必要はない。発言をする必要もない。用事は済んだ。さっさと、どこへなりと行ってしまえ」
「あんた達も、おんなじようになればいいんだ!」わたしはそう吐き捨て、暗い廊下を歩き出した。背後から『あいつ』が最後の言葉を発した。
「せめて、トイレの場所だけは間違えないようにするんだな。臭いがきつくて仕方ないんだよ」
「言われなくても、分かってるわよ!」わたしは振り返らずに言った。もう廊下の先にある扉を越えることを優先した方がいい。余計な戯れ言に耳を傾けてはいけない。
すると、周囲の牢獄の中から一斉に声が上がった。さっきまであれだけ纏まりなく騒いでいたのに、こんな時だけは声が見事に揃っていた。わたしへの手向けのようであった。
有罪! 有罪!
淫婦! 淫婦!
わたしは俯きながら、出口を目指してよろよろと歩き続ける。いずれ出口に辿り着くのだろうが、それがいつになるのかは分からない。
そしてわたしは、これから先もずっとこんな風に暮らしていくのだろうかと、ため息を零した。
―完―
最初のコメントを投稿しよう!