2009/9/29

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頭を使わない人間は猿と同じ。 常に脳を「使う」ことを考えるべし。そこに「使えて」いるというニュアンスを含むべからず。 また現在、自分が使えている脳の領域を常に使うべし。しかし、同時にそれに満足するべからず。常に狭かった部分を拡げようとするべし。 日進月歩、常に進化すべし。 進歩しない人間はただの肉の塊。 「苦しい。」 こういう気分の時に、なにか、または誰かのせいにして逃げる。そして一時的に痛みから逃げ切れた快楽に浸る。 快楽に満足する。すると次は、その痛みを客観視しはじめる。 この時、客観視することでは痛みは生じない。性的行動後の余韻に浸っているときと似ている。 快楽に満足し、客観視すると、そこには矛盾が生じてくる。 なぜなら快楽は問題から「逃げた」為に得られたものであるにも関わらず、客観視したことにより問題に対して「向かって」しまったから。 葛藤。困惑。疑問。 一体誰の為に?何の為に俺は悩んでるんだ?そもそも悩む必要なんてあるのか?一人前に悩む権利はあるのか?なぜ権利は平等じゃないんだ? 終わらない疑問。 なぜ終わらないのか、簡単に言えばこういうこと。 1+1を見たとする。 その時に2という答えじゃなくて、なんで「いち」を「1」と表記するのか、「たす」を「+」と表記するのか、そこから考える。 無駄なのは分かってる。その疑問に答えがあるのは分かってる。 誰かがそう決めたから そういうこと。 でもね、僕が欲しい答えは2じゃなくて紙と鉛筆の原材料と作り方からなんだ。 結局振り出しに戻る。 「誰か」を恨むのも、「決めたこと」に意義を唱えるのも、疲れるから。 そうして意味の無いところでまた逃げる。 毎日毎日繰り返し逃げる。 仕方ない、そう言えば腑に落ちたような気がするから、仕方ない仕方ないこう言うものだといいつつ、また向かう。 詰まらない。分かっているのに終わらない。 でもきっと僕は、社会的な保証のある2という終わりを貰えても「えーw」で返すと思う。
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