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「雨森、こんなのまずくて飲めないよ」
店長は同僚全員に聴こえる程の大声で言うなり、私の目の前で私の淹れたコーヒーを流しに捨ててみせた。黒い液体が流れ落ちる瞬間は見事にスローモーションとなり、耳には先程の台詞が残響となる。
――胸の奥がズキリとした。
いや、そんなことは今現在どうだっていい。
「す、すみませんでした。すぐに淹れ直してきます」
「や、もういいから。仕事戻って」
「……っ、はい!」
私は大急ぎで持ち場に戻ろうと駆け出す。と、ロールを巻いていた先輩の怒声が響いた。
「雨森ーッ!! 二階上がるならグラサージュあげてって何度言ったら分かるの!?」
グラサージュとは、洋菓子の仕上げに使うチョコレートのこと。
うちのパティスリーは珍しいことに二階建てで、一階と二階で作業工程を分けているから厄介だった。厨房では勿論のこと、手ぶらや歩きでの移動は厳禁。先を見据え! 必要な道具材料を上へ下へと行ったりきたり……そんな訳で、うっかり者の私は、いつもいつも叱られているのだった。
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