ピストルナイフ

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 彼女は笑ってた。嘲笑うでも、微笑むでもなく、笑ってた……らしい。それはつまり――僕がその場に居合わせなかったという話。 「……ああ、彼女なら笑ってたぜ。久しぶりに興奮したよ」  ジムは土色の薄い唇を吊り上げながら、淡々と僕に話した。彼女の最期の表情ならば容易に想像がついてしまったから、特に質問は無い。きっと追い込まれたビル群の隙間で、毅然と、あの日僕と出会った日と同じような笑みを湛えていたのだろうよ。  僕はあまりにも美しい彼女に怖じ気づいた。ピストルの安全装置を抑えた指が、久しぶりに震えていた。 「どうせなら命乞いくらいしてくれりゃあ良かったが。……駄目だな、あの女は隙を見せた瞬間に噛みついてきそうだ」  違う。僕には噛みつかなかった。僕はあの日キスをされたよ。 「なあジム、どんな風に殺ったんだ?」  幼い頃から身に付けてきた。平静を装う術は、富豪を殺す為じゃない。この日の為に在ったのだと、僕はふと思う。  それから脳内にリフレインする、どしゃ降りの雨の音。彼女の魔性の甘い声。「逃がしてくれるの? キミ、優しいね」と、彼女は呆気なく魔法にかけられた僕に歩み寄った。あの日以来――柔らかい唇から漏れた温度を感じてから――引き金の引き方を僕は忘れてしまったんだ。 「俺を睨んでくる目が気に食わなくてな。ナイフを五本、いや七本だったか? 急所は外してぶち込んでやったんだ。  楽しかったなあ。食いしばったピンク色の唇が、どんどん真っ赤に染まっていって……」  分かっていた。ジムが卑劣な男であると。僕自身、何人の女子供を殺めてきた事か。 「でも彼女、笑ってたろ」 ――ねぇ、君は僕に一体どんな魔法をかけたんだい。 「最期まで彼女、笑ってたろ」  僕の意味深い台詞に、目の前に居る暗殺者気取りの殺人鬼が唾を吐いた。きっと理解出来ないのだろう。当たり前だ。僕自身が理解していないのだから。  まさしく、これは衝動。僕はたった今ピストルの使い方を思い出したよ。 ◇ ◆ ◇ 「また、会えますか」 「そうだね。またいつか、会いましょう」  名も知らぬ貴女――僕があの日、一息に撃ち抜いてあげていたなら、それはとても、とても幸せな結末だったに違いない。
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