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先程から、そこの木陰から様子を窺っている少年がいた。痛いのはその少年、彼の心だ。
(何故、あの娘はあんな顔をしているのだろう?何があったのだろう?)
少年らしい感傷で、泣くまいとする少女の姿に引き込まれて──心が痛んだ。
少年はこの岐阜に来てまだ間もない。
この秋。彼は人質として、ここへ連れて来られた。
そう、彼が蒲生鶴千代である。
彼は人質である。彼の家の出方によっては、いつ殺されても不思議はない。しかも、彼を人質にとったのは他でもない、あの織田信長なのである。
粗野で乱暴、頗る傲慢で短気──など、およそ普通の様子でないことが容易に伺える。その信長の人質なのだ。虫の居所が悪い日など、ただそれだけで首を刎ねられるかもしれない。
それだけに、どんなに不自由な生活をさせられるかと思ったが、拍子抜けするほど自由を許されていた。今だって、近くの寺からの帰りだ。一人でこうして、藤袴の中を歩いている。
そして、思いもかけず、少女を見かけた。
なんとなく見てはいけないように思えて。反射的に木陰に身を隠してしまったのだが、今さら出て行けない気もする。
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