序章

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 一度でいい、近くで正面から見たいと思った。  藤吉郎はまるで猿のように木に登った。 (しめた、ここからならば、よく見えるぞ)  城の奥御殿の見事な庭。  様々な花が植えられており、侍女が数名いる。皆鋏を手に、咲き初めたばかりの花や蕾を切っていた。きれいな娘達である。だが、それでも彼女達の美貌は霞む。  庭に面した御殿の廊下に、女性が一人、ゆったりと座っていた。その人は目を見張るほど美しい。  こちらに真っ正面に顔を向けている。藤吉郎が拝んでみたかった人に違いなかった。  藤吉郎の主君・織田信長の妹・お市である。美人で名高く、藤吉郎も遠くからならば、何度かほのかには見たこともあった。しかし、高貴な女性に近づけるはずがなく、藤吉郎はお市の姿をちゃんと見たことがない。  有名な美人を一度しっかり見てみたい。そんな好奇心、いや、夢には勝てず、ついついお市の住まいに忍び込んでしまったのだった。  だって、今しかないのだ。お市は間もなく嫁いで行ってしまうかもしれないのだから。
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