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それにしても、藤吉郎は何故木に登ったのか。
人間には、頭上を注意し忘れるという習性がある。そして、どういうわけか、周囲を警戒している時ほど、その傾向が強くなるものだ。
姫君が庭にいるとなれば、侍女達の警戒は最大限のものになるだろう。物陰に隠れたりしたら、まず見つかってしまうに違いない。だが、頭上ならば。お市のごく近くにいても、見つからないに違いない。
だから、藤吉郎は木に登ったのだ。
案の定、侍女達は花を切りながらも、殺気さえ漂わせて地上を見回している。
思い通りだ。藤吉郎はほくそ笑んだ。誰も木の上になぞ眼をやらない。今日の空の雲が、濁りのない白色であることさえ知るまい。
藤吉郎は頭がいい。おそらく、織田家中一の頭脳だろう。侍女達なんて、百人寄ったって、藤吉郎の知恵には及ぶまい。
(帰るか)
堪能した彼は、見つからないうちに退散しようとした。
その時だった。ひょいと円らな目と合った。
(なっ、なんで……)
ぎょっと見下ろす藤吉郎の目を、きょとんと見上げている。まだ幼い、けれどやたら整った顔立ちの姫だった。
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