序章

3/7
529人が本棚に入れています
本棚に追加
/870ページ
 それにしても、藤吉郎は何故木に登ったのか。  人間には、頭上を注意し忘れるという習性がある。そして、どういうわけか、周囲を警戒している時ほど、その傾向が強くなるものだ。  姫君が庭にいるとなれば、侍女達の警戒は最大限のものになるだろう。物陰に隠れたりしたら、まず見つかってしまうに違いない。だが、頭上ならば。お市のごく近くにいても、見つからないに違いない。  だから、藤吉郎は木に登ったのだ。  案の定、侍女達は花を切りながらも、殺気さえ漂わせて地上を見回している。  思い通りだ。藤吉郎はほくそ笑んだ。誰も木の上になぞ眼をやらない。今日の空の雲が、濁りのない白色であることさえ知るまい。  藤吉郎は頭がいい。おそらく、織田家中一の頭脳だろう。侍女達なんて、百人寄ったって、藤吉郎の知恵には及ぶまい。 (帰るか)  堪能した彼は、見つからないうちに退散しようとした。  その時だった。ひょいと円らな目と合った。 (なっ、なんで……)  ぎょっと見下ろす藤吉郎の目を、きょとんと見上げている。まだ幼い、けれどやたら整った顔立ちの姫だった。
/870ページ

最初のコメントを投稿しよう!