序章

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 百姓に生まれた藤吉郎が立身するためには、恥も外聞も捨てなければならなかった。しかし、その根性を汚いと、お市は言うのだ。  確かに汚かろう。しかし、卑しい者の苦労は卑しい者にしかわかりはしない。  お市は藤吉郎の顔を嫌悪し、さらにその手を見て、瞬時に硬直した。  お市のように美しく生まれた者には、この世にこんな姿の者がいるのかと、信じられないのに違いない。お市はさも気味悪そうに藤吉郎の手から顔を背けると、さっさと立ち去ってしまった。  藤吉郎はへらへら笑っていた。だが、本当は傷付いた。いかに卑しくとも、心は持っている。いくら醜くとも、男である。  その時だった。さっきから庭の蕾の中に佇んで、そっと様子を窺っていた冬姫が、声をかけてくれたのだ。 「百姓からここまで身を立てるなんて、凄いのね」 と、幼女は慰めるのである。 「藤吉郎のその手は──」  冬姫は藤吉郎の指をじっと見つめて、可憐に微笑んだ。  藤吉郎は六指だった。親指が一本余計に付いているのだ。 「その指はきっと、藤吉郎の並外れた才能を表しているのよ」
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