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「そもそも世界ってなに? 所詮は脳が解釈した電気信号じゃない。いいえ、その脳だって頼りにならない。我思う故に我有りなんて言うけど本当にあなたはそこに存在するの?」  彼女に目を戻すと今度はちゃちな店でコーヒーと一緒にでてくるクリーム入りのプラスチック容器を手に取った。蓋を取り、それをカップの上方に高々と持ち上げる。砂糖を入れてあったガラス容器はいつの間にか無くなっていた。  彼女は白い白いクリームをカップの遥か上方から垂れ落とす。ピチャピチャとはしたなく飛び散る練乳は茶色い木製のテーブルを白い斑点で彩った。  彼女は口元を薄く歪めて滝のように落ちるクリーム越しに僕を見つめていた。 「いや、ごめん。ただ、僕はその……」  僕は思わず俯いて口ごもってしまった。  彼女はクレバーだ。僕が解らないだけなのだろうか、時々理解出来ないことを口にする。ただ、今回は多少なりとも言いたい事は分かった。だが僕と彼女の思い描いている事由に大きな隔たりがある。そしてどう説明したものやら戸惑うしかなかった。この現状に於ける漠然たる不安を彼女に理解してもらえる程の語彙を持ち合わせていないし、第一僕自身本当に漠としてそれを掴みきれていないのだから。  視線を戻すと彼女はまだクリームを垂れ落としていた。少しずつ少しずつ。まるでクリームが飛び跳ねるのを楽しんでいるかのように。カウンターに居たはずの老人がいつの間にか居なくなっていた。  クリームを入れ終えると彼女はそのままプラスチックの容器をカップの上から離した。重力に逆らうことなく一直線に白と黒が共演する海の中へ吸い込まれていく。テーブルに飛び散ったクリームが気のせいかジワリと広がったような気がした。 「コーヒー飲まないの? 冷めちゃうわよ」  僕は目の前に置かれたコーヒーカップを見やる。白いカップの中に黒々とした液体が僕の顔を射抜く。僕は何だかこの黒い水面下で、僕達が過ごしている何気ない日常が崩れていくような気がして思わず窓の外に目を逸らした。
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