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また残り香がふわりと撫でた。一階から漏れて来る子供の声を聞きながら、Yさんは部活の試合で遅くなった日や、ふくらんだリュックを背負って修学旅行から戻る途中、実家のそばまで来ると決まってカレーの香りがしたのを思い出したと言う。
アパートは二階建てで、2DKの部屋が横に八戸続いている。Yさんは二階の突き当たりに住んでいた。建物の西の角部屋だけは、日当たりが悪いという理由で安かった。においが強くなる。腹が減ってならないから階段を早足で駆け上がり、一部屋ぶん通り過ぎてYさんは、不意に足を止めた。
においは突き当たりから風に乗って、アパートの外へと流れている。
「俺の部屋のほうじゃん」
しかし部屋の合鍵なら、今さっき別れた彼女に渡した物と、実家に送ったぶんしかない。おまけに実家の母親は几帳面で、留守にしがちな息子に前もって「いついつに行く」と連絡を入れてからでないと来ない。おかしいなと感じながらもYさんは、自分の部屋の前に立った。
閉まったドアの細い郵便受けの隙間からか、それとも排気口を通って染み出すのか、カレーのにおいがあたりに濃くたち込めている。なのにドアの内側からは物音ひとつしない。薄暗い廊下には、隣の部屋から漏れるバラエティ番組の笑い声ばかりがかすかに響いている。
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