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『体が冷たい』。
さっきまではあんなに温かったのに、今はまるで自分の体じゃないみたいに、冷たい。
痛覚は消え、視界は黒く霞み、少し視線を落とせば一面を紅が染める。
それが、自分の血だと気づくのには暫く時間がかかった。
ああ、僕は死ぬのか。
本能的にそう悟った。
あまり実感は無い。
死にたくはなかった。けれど、いざその死を前にすると不思議なくらい何も感情が沸いてこない。
きっと、逃れようのない現実を受け入れ、諦めているからだろう。これが、生きる意味を見い出せなかった僕にふさわしい最後なのかもしれない。
そう思いながら視線を前へと戻すと、いつの間にか目の前には――天使がいた。
十二、三歳くらいの、精巧な磁器人形のように美しい少女だった。衣装は黒を基調としたゴシックドレス。やや短めのスカート、随所にレースがあしらわれたもの。
嘘みたいに長い金髪が霞みきった僕の視界に映え、先程まで見ていた紅と似た瞳が不敵に僕を見下ろしていた。
とうとう幻覚まで見え始めたか。そう思ったその時――
「人が死んで、人が死ぬ。生きる意味を見い出せずに死んでゆく。やはり人間とはかくも憐れなものよのう」
――喋った。それもえらく古くさい口調で。訳が分からない事を。外見と違わない繊細な声で、喋った。
それが幻覚ではないと、幻聴ではないと分かったのは、ふいに僕の頬に伸びた彼女の両手が温かかったから。
「歓べ。そんなお主に、儂が生きる意味を与えてやろう」
眼前へと迫りくる少女の顔。
唇から。
痛みも、寒さも、命も消えかけた僕の体に伝わる温もり。
ファーストキスは、甘い甘い死の味がした――。
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