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ところが今日は、みやげもの屋の青年に客がいた。
客は、青年が帰る途中、ゲートのぎりぎり手前で人目をはばかるように、そっと袖を引いた。
「なぁ、みやげもの屋さん」
「はい!」
青年は驚いた。
客を望んで来ているには違いないけれど、まさか本当に客が現れるとは思っていなかった。
客は、三十代半ばほどの、言葉になまりがある田舎くさい男だった。
「ちっと頼みたいことがあんだけどよ。みんなに知れると後でぐあい悪いからよ、向こうに来てくんねえ」
そう言って客の男は食堂を指した。
たしかに、今はちょうど昼食が終わった後で、人けのない食堂は密談にはもってこいだ。
なるほど、とうなずいて青年は、ゲートの上にいる見張り番に、もう少し滞在することを身振りで告げて、男の後に従った。
青年の記憶が正しければ、男は富樫といったはずだ。
元砲兵で、所内でも気が弱く目立たない人間だった。
それがみやげもの屋に声をかけるなんて、意外だ。
食堂はちゃちなプレハブで、カーテンが引かれていてもあちこちから光が差し込んでくる。
収容者たちによって掃除が行き届いているので、むしろ外よりも清浄な雰囲気であった。
男は人がいないことを何度も確認したあとに、こう言った。
「人形ひとつ売ってくれ」
「人形、ですか?」
青年は大きな瞳をぱちくりさせた。
「そう、人形だ。ちっちぇのでいんだ、売ってくれ」
「えっと、どんなのがいいでしょう?」
「……女の子が喜びそうなのがいいな」
青年が何か言うより先に、富樫は言い訳めいて言い足した。
「今月、娘が生まれるはずなんだ。渡せねぇのは承知だが、何か買ってやろうと思ってよ……」
富樫の全身に、父親らしい嬉しさがにじみ出ている。
いつでも死のほうにベクトルが向いている捕虜の中に、こういった者が現れることは青年がながらく望んできたことだった。
「うわあ!おめでとうございます!」
青年は、ぱっと富樫に抱き着いた。
立場やしがらみを一切省いた、素直で熱烈な祝福だった。
ハグの習慣のない富樫は半分困って、お、お、とわけの分からない事を言っている。
「じゃあ、娘さんのお人形、選んでください」
青年は富樫を解放すると、大きな旅行鞄を開けた。
そこには、売れる当てのないみやげものが、きちんと手入れされて詰まっていた。
富樫は青年の律儀さに感心し、青年に対する自分たちの態度に、少しばかり気が差した。
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