ある戦地にて

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  青年は言葉を尽くして止めようとし、最後に涙さえ流したが、富樫は「決まったことだから仕方ない」と繰り返し、聞き入れることはなかった。 青年は、見張りに告げ口することも考えたが、富樫の「お前を信頼して」の台詞がひっかかって、言い出せなかった。 青年は、手元に残った美しい着物の人形を見つめ、自分の力なさを思い知った。 翌朝、カウラ収容所の捕虜たちは手製の武器を持ってゲートへ突進した。 その脱走劇は、死者を数名出しただけで終わり、二度とは起こらなかった。 死者の何人かは、戦闘に参加できないゆえの自害であり、日本兵の思いの強さが分かる。 そして、終戦後に帰国した生存者たちは、捕虜だったことを家族にさえ明かさなかった。 富樫がどうしたかは、記録がないので分からない。
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