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「駄目だね、てんで行方がつかめねえ」
そろそろ床につこうかという時刻になって、懇意にしている岡っ引は気の毒そうな顔をしてやってきた。
丸屋の主人佐兵衛は、深夜に訪ねたことを咎める気力もなく、絞り出すようなため息をついた。
手代の弥助が半月前、急に店を辞めた。
弥助は子飼いの奉公人ではないが、商いの勘が良く、いずれ佐兵衛の右腕にと見込んでいた若者だったので、もちろん佐兵衛は引き止めた。
しかし弥助は頑として聞き入れず、訳さえ話さないまま辞めてしまった。
迷惑な話だがここまではいい。
ところが昨日になって、今度はひとり娘のおみつが消えた。
買い物に行ってくる、と言ったまま夜になっても戻らないので、自身番に届け出たが、無駄だった。
金箱から二十両の金がなくなっていることに気づいたのは、その後である。
弥助と示し合わせて家出したのだ、と気づいたのはさらに後、奉公人のひとりひとりから、無くなった二十両について問いただしている時だった。
おみつと日頃仲良くしていた女中が、弥助と駆け落ちの約束をしていることを、ぽろりと漏らしていた、と言うのである。
まさか本当だったなんて、と女中は顔を青くしていた。
つまり、いつのまにか弥助とおみつはデキていて、共謀して店の金を盗んで逃げたらしい。
佐兵衛は、実の娘と奉公人に裏切られたことよりも、おみつが男をつくっていた、ということがショックだった。
しかも、岡っ引に調べてもらっているうちに、とんでもないことまで分かった。
弥助というのはたちの悪い男で、こんなことは一度や二度ではないのだそうだ。
金のある娘に近づいて、一銭残らず巻き上げては捨てる、というのが野郎の手口でさ、とその岡っ引は語った。
なんとか平静を保って、岡っ引に礼金を包んで帰すと、佐兵衛は縁側にじかに座り込んだ。
尻にじわじわと冷えが上ってきたが、今のみじめな気分にはぴったりのようだった。
もう、おみつは見つかるまい。
どこか知らない町で、家を捨ててまで好いた男に冷酷に捨てられてしまうのだ。
娘を哀れと思ったが、どうしようもなかった。
ともあれ、おみつは自分の意思で去ったのだから。
ばか者め、と佐兵衛はつぶやいた。
家の中はひっそりとしていて、佐兵衛の声はやたらとむなしく聞こえた。
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