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  マルは、玄関脇に茶色い体を横たえ、尻尾でまといつくハエを追っていた。 マルは雑種だが、猟犬の血が混じっているらしく、尖った耳と長い脚を持っている。 顔も精悍そのもので、吉衛門の自慢の種だ。 縄を持ったおむらが近づくと、散歩に行くことがわかるのか、マルは跳ね起きて、おむらに飛び掛かった。 それは、じゃれる程度のもので、慣れた者ならどうということはないのだが、おむらは、きゃっと叫んでしまった。 すると、マルも驚いて、姿勢を低くしてうなり出す。 「もう!どうしたらいいの……」 まだ縄もかけてないのに、時間はどんどん過ぎていく。 何としてもマルをなだめて散歩させ、半刻で帰らなければならない。 おむらは縄を握りしめたまま、マルを見つめた。 それにしても、玄関の騒ぎは聞こえているはずなのに、誰ひとり助けに来てくれないことが腹立たしく、悲しい。 遠くから、先輩たちの高い笑い声が聞こえてきて、なおさら悔しさを煽った。 気持ちは急いたが、おむらは一旦マルの視界から消え、マルが落ち着くのを待った。 待つ間、昼の支度に間に合わなかった場合を考えて泣きたくなったし、こうして待っていることを見られたら、問答無用で怠けと罰される、と心配したり、少しも気は休まらなかった。 ようようおよび腰で縄をかけ、散歩に出発した時には、すでに決められた道をたどる余裕はなかった。 マルには悪いけど、お屋敷の周りを回って帰ろう。 そう思っておむらは、屋敷の塀沿いに歩き出した。 門の外は一面の田んぼで、稲刈りを終えたこの季節は、深呼吸したくなるような開放感に溢れていた。 おむらは、ほっとした気持ちで水色の空を仰いだ。 しかし、はじめはおとなしくしていたマルが、急にあぜ道に向かって突進しようとした。 「こら!」 慌てておむらは縄を引くが、そこは暴れ者のマルで、おかまいなしにぐいぐい走る。 おむらは振り切られまいと必死について行く。 万が一逃がしでもしたら……。 おむらはほとんど悲鳴のように叫んだ。 「止まりなさい、マル!」 必死の言葉も犬に伝わるはずはなく、マルは田んぼを突っ切り、遠く離れた雑木林に着いたところで立ち止まった。 おむらは、のんびりと小便などしている凛々しい雑種犬を、恨めしげに睨んだ。 全力疾走を強いられて、足はがくがくするし、胸は唾を飲み込むのもつらい。  
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