ある戦地にて

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「みなさん、こんにちは~!みやげもの屋でござーい!」 すがすがしい秋晴れに似合いの青年の声が、テントの乱立するグラウンドに響いた。 青年は愛嬌のある丸い顔を紅色にほてらせ、くりっとした漆黒の瞳を『夢と希望でいっぱい!』とでも言うように輝かせていた。 青年の声を聞いて、石をどかされたダンゴムシのようにのそのそと、赤いつなぎを着た男たちがやって来た。 みな汚いことはないのだがが、すさんだ空気をまとっているせいで、ぼろ服を着たこじきに見える。 青年は臆するそぶりも見せず男たちひとりひとりに、にこにこ笑いかけ、こんにちは!とか、おみやげいかがですか?とか声をかけている。 男たちの中には、根負けしてくたびれたような笑顔を返す者もいたし、苦々しく、もしくは憎しみを込めて睨みつける者もいた。 睨むのも当然。 ここは、カウラ収容所。 オーストラリアにおける日本人捕虜施設である。 彼ら日本兵は戦時訓を固持し、生きて祖国へ帰れることを誰ひとり信じていなかった。 みやげものなぞ、悪い冗談にしか聞こえない。 そして、在豪日本人である青年を『非国民』と非難する人間もまた多かった。  
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