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時々、ふと思うことがある。
僕のしていることに、意義、意味、目的、理由――大義があるのだろうか、と。
僕はこれまで――古河の時も、瑠璃さんの時も、自らの自己満足を大義名分として戦ってきた。
身を賭け、身を張り、身を投げ出して、自らが後悔しないように、僕は戦い――闘った。
それは果たして自己犠牲とは程遠く、自己完結することの出来ない事象ではあったけれど、半ば不確かな理由が、そこには確かにあったのだと思う。結果として、古河を助けることは出来たし、瑠璃さんの心が安らいだのは素直に喜ぶべきだろう。
だがしかし――僕の行動の理由が本当に本音の、“僕自身の”闘う理由であったのかと、訊かれると、僕は力強く首を縦に振ることなんて、出来やしないだろう。
もちろん大義名分はあるのだ、と今でも信じているし、そう思っていなければ僕は実際動いていなかっただろう。
――いや、あったのだと思いたかっただけなのかもしれない。
自己満足を否定することはすなわち、僕の行動の意義、過去の経験が全て否定される状況になりかねないからだ。
過去の否定――それは現在の僕の否定をも意味する。悩んで傷ついて苦しんで嘆いた数年間が積み上げてきた今の僕を――僕は否定したくなかった。
だからこそ。
目を背けた。
僕の行動が誰かの為であったと認めるのを、恐れた。
迷う心を無理やり抑え込み、本音を隠して自分を騙す。
――“優しい”
それはなんて曖昧な言葉なんだろうか。
優秀、優勝、だなんてポジティブな意味もあれば、優柔不断のようなネガティブな意味だってある。
西園寺に言われた通りだ。まさに僕を形容するのにふさわしい――中途半端な言葉だ。
嬉しくもなんともない。けれど逃げてはいけない。今の僕が出来るのは、ただ今の自分を受け止めるだけ。
闘う理由――は。
やっぱりまだ見つけられない。これから先も見つかる保証なんてどこにもないけれど。
やっぱり後悔するのも嫌だから。
だから、だからこそ僕は――
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