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もう一つエピソードがある。
妙の両親は、夫婦で聖教新聞を配っていた。
創価学会発行の聖教新聞はちょっと普通の新聞と違い、お金を貰って配達している訳では無い。
ボランティアのように奉仕作業で配っている。
しかも一家で何部も取り、見えざるノルマに縛られているようだ。
創価学会員は、聖教新聞を他の人間に取らせる(啓蒙という言葉を使う)事により、『福運が付く』と信じているようだ。
信仰と新聞がどう結び付くのかは理解出来ないが、彼等はその言葉を口々にする。
僕が高校二年の時、秋の長雨が続いた休みの日の出来事だった。
友人と東京へ出掛ける約束だったので、その日はたまたま僕は早起きしていた。
何の気なしに僕は新聞(※聖教新聞では無い)を取りに玄関に出た時だった、妙の母親が近くでスクーターを止め、激しく咳き込んでいた。
「おばさん、大丈夫かい?」
白いカッパを着た妙の母親は、言葉も切れ切れに「全(ゲッホッ)…然(ゲッホッ)…、平気(ゲッホッ)だ…から(ゲッホッ・ゲッホッ)。」、と答えた。
完全に具合がおかしいし、顔がやつれきっている。
必死に咳を止め、「これくらい勤行すれば、直ぐに治っちゃうよ。」と弱々しい声で答える。
僕は直感的に『このままだと死ぬ!』と感じた。
「おばさん、病院行きなよ。」
「私にはご本尊様がついているから…。」
自分の中で、何かが音を立てて切れた。
「馬鹿な事を言うんじゃないっ!おばさんが死んじゃったら、どうすんのっ!?拝んでいたのに、死んだって笑われるんだよっ!?」
自分でも、エライ剣幕だったのを今でも思い出す。
祖母が僕が中々戻らないのを心配して、表に出てきた。
妙の母親の様子を見て慌てていた駆け寄り、僕に救急車を呼ぶように言った。
結果重症の肺炎で、妙の母親は2週間の入院をする羽目になった。
多分妙の両親は、この出来事や妙の面倒を家でみた事、そして僕を創価大学に行かせた事を負い目に思っているのかもしれない。
僕が強硬的なアンチ創価になっている事を十中八九知っているはずなのに、何事も無いように未だに付き合いがあり、態度も変えない。
何しろ同じ市内で、厄介な創価学会脱会に二回、トラブル付きで僕は関わり、手助けした。
知らない訳が無いだろうと思う。
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