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永正十七年(一五二○)、伊東氏はそれまで攻めていた飫肥ではなく三俣院・北郷等の都城盆地を中心とした庄内地方へ軍事の矛先を転じた。同年伊東氏は三俣勝岡城を落とし北郷氏当主北郷左衛門尉忠相の居城都之城に攻め入ったが、陥落させるには至らずであった。今回の戦は都之城陥落という伊東氏の悲願を成就させる為の戦でもあった。
「都於郡で待つ兄上に早よう朗報を持って参りたいものよの。」
祐梁は眼前の諸城を見遣ってそう言った。
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