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激しく揺れるランタンの光の中に浮かび上がった階段を、その男は駆け下りた。
荒い息遣いと、血管の中をのたうち回るような鼓動が全身を駆け巡る。
背後から迫る何者かの蠢く気配が、男の首筋にチリチリとした独特の危機感をもたらす。
(速く、もっと速く!)
様々な思考が駆け巡る男の脳裏で、その言葉だけがクッキリと鮮明に浮かび上がってくる。
しかし、力を込めているはずの両足には、まるでベルトコンベアの上を走っているかのような、頼りない反動しか伝わってこなかった。
激しくぶれる視界。
男はようやく目的の扉の前にたどり着くと、部屋の中に転がり込んだ。
振り向き様に全身を使って勢い良く扉を閉める。周囲の空気を揺るがす音と共に、扉は外界との繋がりを絶った。間髪入れず震えの止まらぬ指で鍵を掛けると、男は扉を背にして、その場にペタリと座り込んだ。
ヒヤリとした扉の感触が男の体に蓄積した熱を奪ってくれる。しかしそれでもぼさぼさに伸びた長髪と、鳩尾辺りまで伸びた髭を伝って、一粒、また一粒と汗が床に滴り落ちた。
男の荒い呼吸音だけが、静寂の中に響いていた。
はあッ……はあッ……はあッ……。
(間に合った。状況は絶望的だが、当座はこの部屋でしのげる筈だ)
錯乱する思考を落ち着かせるように心の中で呟く。
その考えを後押しするように、男がもたれる扉は分厚い質感と安心を与えてくれた。
何故なら堅いチーク樫で出来たその扉だけが、今の男にとっての唯一の生きる希望であり、迫り来る脅威から身を守ってくれる最後の砦だからだ。
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