Dear a river

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 翌日、雨が降っているにも関わらず、夫は釣りに出掛けて行った。彼が玄関に座ってくつひもを結んでいる間、私はずっと口をもごもご動かしていた。舌先の情報によると、また一本歯が抜けたらしい。 「昨日の夕食はおいしかったよ」  と頬にキスをしてにっこりと何かに笑いかける。彼がドアを開けた途端、冷たいしぶきが悪口のように飛び込んできた。それは私の頬を濡らし、気に入っているくつや私の服に必要の無いものをもたらす。 「早く閉めて」と震える声で言う。わかったよ、と夫はちょっと傷ついたように手を振り、今日は洗濯物を干さない方がいいようだ、と言い残し雨に打たれていった。  なんで昨日の夕食の話なんかするの。私は濡れてしまった床を拭いていた。あんなに小骨を嫌がっていたのに。拭いても拭いても、吹き込んだ雨水は床の奥深くまで根を張って、そこから離れようとしない。それにその服を洗濯しなきゃいけないのよ。家には乾燥機なんてないのよ。分かっているでしょ? 肩も肘も沢山動かしたけれども、もう水は嘘になっていた。床に、嘘がこびり付いている。床に。  お願い、お願いよ。  私は諦めて拭くことを止めた。居間のソファに座ってテレビを点ける。  教会が映し出された。きらきら光っていてガラスの建物みたいだ。人々が何かを叫んで、何かを指差している。その先には黄金色に輝く鐘があった。次の瞬間、その中から一羽のハトが飛び立った。鐘の内側に巣を作ってしまったらしい。教会の関係者は鐘を鳴らすことができないので、困り果てているようだ。  自業自得よ。  どっちが?  どっちも。  またハトが飛び立つ前に私はチャンネルを変えた今度は川が映し出される。ブルーシートと警官で溢れかえっている。以前よりもそれらは数を増しているように見える。とうとう女性の死体が見つかったのだ。被害者の家族が悲痛と怒りの表情で何かを言おうとした時、私はテレビの電源を切った。ぴィんと空気が一列になって目の前に並ぶ。さっきよりずっと見たいものがはっきりしたというのに、私は顔を手で覆う。力無く壁にもたれる。何か支えが欲しかった。そしてそれが別の形で失われつつあると分かると、このままハトになってしまいたくなった。でも、まるで川底にいる気分だった。
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