Dear a river

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 夫はちゃんと帰ってきた。私はばたばたと廊下を走りぬけ、雨で濡れた体に抱きついた。 「一体どうしたんだい」  彼は目をぱちくりさせて私をやさしく支えた。ごめんなさい、私がいけなかったの。わたし、自分があんなこと言うなんて思わなくって。本当に言うつもりはなかったの。本当よ。  まいったな、と夫は頭を掻きながら不意に思い出したように、クーラーボックスを漁り、ほら、と大きなマスを取り出した。 「プレゼントだよ」生臭くて、大きい、まだ生きているそれを私に押しつけると、私を押しのけてシャワーを浴びに行ってしまった。 「おいしい夕食を楽しみにしているよ」  バスルームで声が反響した。  マスをまな板に置くまでそう時間はかからなかった。雄々しい体を横たえると、妙に幸福な気分になった。今ならこのマスで世界が救えるわ。真っ黒に汚れたコンロを見る。そのうち掃除してあげるからね。  包丁の先端をマスに突き立てると、何かがそれを阻んだ。慌てて引き抜くと、刃先が少し欠けてしまっていた。切り口を覗くとピンク色の身以外に鈍く光るものがある。私はそれを慎重に引き抜いた。指輪だった。あまり輝いていなかったし、汚れて安っぽそうだけど確かに指輪だった。そしてそれは誰かが誰かにしるしとして与えたものだった。  プレゼント? よく分からなかった。多分マスが飲み込んだのだろう。この愚鈍な生き物は死ぬまで餌だと思い込んでいたんだろう。それでいい。指輪が少しでも私を映してしまわないようにゴミ箱に捨てた。そしてそのマスはとてもおいしいムニエルになってくれた。夫もよく笑ってくれた。私の歯はまた一本抜け落ちていた。
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