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それは慎吾がここに通い出す前の話――
この仕事をしてると色々な【物語】を目にしてしまう。
他愛な飲み合いならともかく――
「私と別れて」
「だからもう浮気は――」
「お願い」
カップルの別れの現場を目撃する事も。
「…わかった」
男はそれだけを言い、店を出た。
(気まずい…今はそっとしておくべきかな…)
直人は自分の表情を、カウンター席にいた別れを告げた女性客に悟られないよう顔を少し俯きグラスを拭く。
時間が過ぎるのを直人は待ち…
「かっこいいね。女性から別れ切り出すの」
(!?)
「……?」
彼女の二つ隣の席に座っていた彼は初対面にも関わらず『かっこいい』と話しかけてきた。
「男の浮気ならそんだけで辛いだろうにさ。決断するにはそれ相応の思いがある事なのかなーなんて」
「………」
「酔っ払いのヤジだと思って聞き流しといてよ。コレは一杯目だけど」
彼は飲んでいたハイボールを彼女に見せる様に左手で持ち『カラン』と回す。
「何回も信じた…同じくらい裏切られて、それ以上に傷ついて……あの人に疲れちゃった……」
別れを告げた時はとても冷めていた表情をしていた彼女。
想いが込み上げて、涙声で話した。
彼はグラスに残ったウィスキーを飲み、
「お兄さん、ハイボール二つ」
まだ少々呆然としていた直人に注文した。
「…あ、は、はい。かしこまりました…」
彼女は少し驚きながら彼を見た。
「一度に二杯も?」
「違う。もう1つは君に。はい、どうぞ」
「そんな、悪いです…」
「大丈夫」
手で遮りながら
「毒は入って無いから」
少し的外れなセリフを口にした。
数秒ぽかんとしてた彼女だが、彼のセリフに拍子抜けしてしまった。
「……ふ、ふふっ…毒って…変なの」
「飲んでみなよ。美味いから」
「ありがとう」と、彼女はハイボールを一口飲んでみる。
「……おいしい」
「でしょ」
この時から、
彼女の笑みがウィスキーに溶け出した―――
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