誘う者 ～いざなうもの～

prologue

　ただ悪戯に降り続く強い雨が、少女の雰囲気をより一層暗くしている。実際、少女の呟く言葉はどれも普通の学生の口から出て来るものではない、暗く、されど禍禍しい、少し変わった内容であった。

「もう、もう無理……。皆普通じゃない、狂ってる、よ。…何で、どうしてこんな事に……」

　少女の両目から、大量の雨がこぼれ落ちて行く。
　思い描いていた未来は、こんな残酷で、憎らしく、悲しいものなどではなかった。

　小さな夢。生涯を共にする、唯一の相手と未来を誓い合い、平凡な生活を過ごし、そして平凡で幸せな家庭を築き上げて行く。誰もが想像する幼少から胸に刻み続けて来た少女の夢は、それだった。

　お花屋さん、ケーキ屋さん、幼稚園の先生。

　数え切れない、幾つもの選択肢の中から選んだ魅力的で純粋なその輝きは、早々見つかるものではない。
　願望を胸に秘め、いつか叶えられたならと、夢を見る事は絶やすいかも知れない。

　しかしどんな夢に於いても、それを実現するのは困難で、茨だらけの険しい道を避けて通れはせず、それぞれの道程がある。

「……っ帰、りたい。家に、帰らしてよぉ……っ」

　少女は、まさに願っていた夢の様な光り放つ幸せを掴み、手にした。
　朝起きたら、家族の為に朝食を作る。いつもの様に挨拶を交わして夫を送り出し、夕方になれば家中に響き渡る子供のただいまの声。
　夜になったら、仕事から帰って来た夫へお疲れ様と声を掛け、子供と揃って団欒とした夕食時を過ごす。

　繰り返されて行く日々の中で噛み締める、これまでにない幸せ。

　だがそれも、もう壊れてしまった。

　戻らない、返って来る事のない、絶望に変貌した輝かしい煌めき。

　呟いた声は激しい雨音に掻き消され、暗黒のじんわりとした空気中に溶け込んで行く。
　光りのない瞳は最早先程より虚ろで、希望のない色で満ち溢れていた。

　――何故、どうして、こんな事になってしまったのだろう。

　自分しか存在しない密室で、自棄に広まる虚無感と、絶望感。

　しかし、影覆い隠される心中で幾度も従来される自問に、少女が何かを口走らせ様とした時だった。

「……っ！」

　鈍く重々しい、金属製の扉の開く音が部屋に木霊した。
　ゆっくりと開け放たれる、一つの入口であり出口でもある形を持つ構造。