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 研究者が暮らす為の集合住宅で暮らしていた、という事実だけを、当時幼かった彼女は覚えている。しかしながらその建物が誰の為に建てられたものであるのかという目的についてはまだ理解出来ていなかった。大人達は同じデザインの白い服をまとい、子供と共に生活しているという認識しか彼女には無かったのだ。その認識は概ね正しい。  彼女には親が居た。父親と母親。施設ではよく見る典型的な家族像である。たまに養子を迎える者も居はしたが、大抵の家族は血の繋がった者で構成された三人暮らしだ。ソフィアもその例に漏れない。だが、ソフィアの周りには歳が近い子供というのが居なかった。何かが重なってそうなったのだとは思うが、偶然にも彼女の周り居た子供達は皆学校というものを卒業したり、あるいはもっと大きな学院に通っていたりといった年齢が多かったのだ。  幼い彼女は歳の近い子供と遊ぶ機会が少なく、その為か一人で留守番させられる事が多かった。教会学校に通えるようになるまでの年齢に達するまで子供の面倒を見てもらえる施設といったものは集落の近くにも研究所の近くにも無かった。そこまで割く余裕など持ち合わせていないという大人達の勝手な事情など彼女には知る由も無い。今までの子供達はそれぞれで集まって勝手に遊んだりしていたから不要だったという認識もあったのだろう。  留守番していた彼女の世話や相手をしてくれたのは雇われた数名の家政婦だけだった。ソフィアが話相手に飽きぬようにという両親の配慮だろう。老婆から若者まで揃えた家政婦達は彼らの望み通り、幼いソフィアの遊び相手になってくれたり母親代わりを勤めてくれたりと、様々な事を交代でこなしてくれた。そのせいか、彼女の思い出で両親と遊んだ記憶は少ない。心を通わせた思い出といえば朝と夜の短い時間で交わされた挨拶や何気ない話と、彼女が体調を崩した時に側に寄り添ってくれた時のものぐらいだ。  
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