硫黄島空襲

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硫黄島空襲

硫黄島に着任してから随分と経った。 摺鉢山地区隊にはこの数ヶ月の間に2000人を越える守備隊が配属された。私は地区隊長として北地区にいる栗林中将他に南地区隊の栗津大尉や中地区隊の原少佐と連絡をしている。 そして1945年2月に入りアメリカの空襲や攻撃(艦砲射撃)が激しくなってきた。 ズドーン!!! 仲嶺大尉『横尾中佐!!!硫黄島が…米軍の艦隊に囲まれています!!』 横尾『本当か!?栗林中将はまだ何も言ってこられんが…。ちょっと待ってろ。』 私はあまりにも部下が言ってくるので千田少将に聞いた。 横尾『摺鉢山地区隊の横尾です。千田少将…戦闘体制にはしなくてよろしいのでしょうか!?』 千田少将『横尾中佐か。今栗林中将からの連絡が来てちょうど連絡しようとしていたところだ。戦闘配置に付け。これから直接全ての地区隊に栗林中将が指示を出す。』 横尾『はっ!!!!』 私は自分の部下に一度集合をかけ、新たに摺鉢山に配属されてきた隊長に部下に伝えるように指示をした。 横溝中尉・古山少佐・松下少佐の3人に手分けをさせ摺鉢山にいる兵隊全員に千田旅団長から言われた事を伝えるよう指示をした。 諸星少尉『横尾中佐…。そろそろですか?』 横尾『あぁ。ここからは栗林中将の指示だ。いよいよ戦闘体制だ。気を抜くなよ!!!』 諸星少尉『はっ。』 横尾『仲嶺大尉。戦闘が始まったら常に私に報告するように頼む。』 仲嶺大尉『はっ。かしこまりました!!』 いよいよ米軍の上陸の時がやってきた。 地下壕は結構の距離を築けたと思う。 2500人の部下の命も預かってる。絶対に死守する、栗林中将の教えでもある。 栗林中将は(一人十殺)と言う事を全ての兵に叩き込んでいる。 一人で十人の敵を倒せば必ず勝てる、故に玉砕を禁止。この戦いは持久戦、バンザイ突撃は禁止。それらの思想をこの数ヶ月で叩き込まれた、 そして2月に入り、2月16日早朝。我々が守る摺鉢山に艦砲射撃がやられる。
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