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不景気だと皆が口を揃えている今、私の勤める会社はありがたくも黒字が続き、日々多忙を極めている。今日も最後まで電気の付いていたフロアを後にして、警備室に声をかけて裏口から社屋を後にする。外灯が点々とあるだけで、人影の無いオフィス街は閑散として、やけに寂しく思えた。
「悪くも良しの春だねえ」
私の隣で、火の点いていないタバコを指で弄びながら、課長は肩を落とす。
「最近、妻の機嫌が悪くていけないよ」
口振りは多少の迷惑さを含みながら、その表情は随分と穏やかな笑みが浮かんでいた。
「ええ、本当に」
上司に合わせるような何気ない相槌に疑問が横切る。妻の声を最後に聞いたのはいつだっただろうか。
乗っている間に日の変わる終電に揺られながら、ここ最近のことを思い出してみる。だが、妻の声を聞くどころか、まともに姿さえ見ていないような気がした。
駅を降りて帰路につく。静まり返った住宅街を歩き、最後の角を折れる。いつものように、目の前には私の建てた家が見えた。
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