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梅雨時期だというのに、見上げた空はどこまでも青空が広がっていた。
私は旅行鞄を持ったまま、その空を眺めていた。見慣れた天井をぼんやり見つめるのとは違う、不思議なほど清清しい気持ちで空を見上げていた。
「やっぱり来なかったね……」
駅前の時計は、十一時二十分を指していた。先ほど伊豆行きの新幹線が出て行くのを、娘と二人で見送ったのだ。
チケットの払い戻しをして駅前の広場に戻ってきたのだが、やはりどこを捜しても夫の姿は見つからなかった。
「迷惑をかけることになるわね」
「やめてよ、そんなこと言うの」
怒ったように言った娘は、今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。
娘にとっては血の繋がった父親で、まだどこか、夫に期待していた部分があったのかも知れない。
「由紀がいい子に育ってくれて、お母さん本当に嬉しいの」
「だから、やめてってば……」
堪えきれない涙を隠すように、娘は私に背中を向けた。
娘の背を見つめながら、私は自分が笑っていることに気づいていた。娘は泣いているのに、私は笑っていた。
「お母さん、これから家に戻るわ」
「うん」背中を向けたままの娘の声は涙を含んでいた。
それでも振り返った娘は笑っていて、今度は私のほうが少し涙ぐんでしまった。
娘が笑っていてくれることが嬉しかった。いま見せている娘の笑顔が、精一杯の作り物であったとしても。
「一緒に行こうか?」
「大丈夫。仕立て終わった浴衣も届けないといけないから、お母さん一人で行ってくる」
そう言えば、娘はちらっと眉根を下げた。曇った笑顔を元に戻して、「今日、届ける約束してたんだ」と言った。
そっと笑う。――私の中には、夫に対する希望はもう欠片もない。
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