第Ⅷ章 右手

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僕は空いた左手で心に手を当ててみた。速すぎず、遅すぎない鼓動が掌越しに伝わってくる。なんだか心地良い。 暫くの無言停滞後、父が静寂を切り裂くかのように言い放った。 「なんだ、結局みんな同じことお願いしたのかよ。個性がないやつだな。あ、でも守は……」 言い終えるやいなや、あーっはっは、と豪快に笑い出す父。もうそのネタはやめてあげなよと思いながらも、僕も次第に顔が弛緩していくのを感じた。 田上君を想い必死に顔を取り繕うとしていると、地面の方から失笑が漏れ始めるのが聞こえてきた。 「あっはっは、守もバカなんだから。私を笑い死にさせる気?」 失笑の主は言わずとも分かるように水希さんであった。高らかな笑い声と馬鹿にした言葉が空間に響く。うんまあ分かってはいたんだけれど、もう少し弟に優しくしてやりなよ、と心で呟いた。 「まあ、いいんじゃないの?」 まだツボに入っているのか、彼女はお腹いたい、と付け足しながら僕の手を引っ張って立ち上がった。 「恋愛は人を成長させるんだぞ? な、拓海」父と彼女の下卑た失笑が綺麗な二重奏になった。
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