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二人の世界は世界の終わり
私は市内の美術学校に通う女子大生。年齢は十八歳。大学もそうなんだけど、私の周りでは、世間が揺らぎだしていた時期だった。
昭和の終末の節目には、平成が突然のように朧げになり、あっという間に先へ、先へと時代は進み出した時期だと思う……。私はその混乱状態の余韻が壊れてしまい、それ以上大きくなるだなんて露知らずって感じだったかなあ。
テレビも音楽も大学の女子寮にはまだ無くて、私は友人達と都心まで一時間以上もかけて出掛け、それよりもおっきなおっきな大型スクリーンを眺めたりして胸をときめかせたりしてたの。
ついでに買い物を優雅に楽しんだり、若者達に人気があった風情あるオシャレなお店にも、寮母さんには内緒で通ったりもしてた。
両親は私の大学行きを簡単には了承してくれなかった。父親が恐ろしく頓知な頭で困ってて、高校卒業とともに企業に働け、と怒鳴られたこともあった。だけど、なんとか女子寮に入るってことで認めてもらえて嬉しかった。
上京したての頃は、行ってもきてみても複雑でわかりにくい人の波にひどく驚かされ、方向を見失うことなんかしょっちゅうだったのだけれど、今ではそんな些細なことも無くなり、毎日を不自由に感じることも無くなっていった。……そう、不自由になるなんてことが、この時は全く考えられなかったのよ。
世間ではバブル社会がはじけて、就職は難しくなるだなんて叫ばれていたみたいだけど、とりわけ私達にはそんなふうには見えなかったし、大学からの求人もさほど変わりはなかったわ。
その頃、メディアでは、私達より馬鹿そうに見える女子高校生の姿が、おっぴろげなくテレビやニュースに取り沙汰なんかされてたし、アイドルやミュージシャンがどんどんとテレビにドラマに出た姿の話しだったりを知ったりは出来たんだけれども、私の周りには勿論そんな人いなくて、街の中でもそんな人達は稀だったのに違いはなかったように覚えてる。不安な気持ちなんて微塵も感じなくて、私は私を中心に世界を生きていたと思う。
時代が混乱してるなんて、全く感じなかった九十年代初頭の東京の空は、今もむかしも青かったと覚えてる。
私は他の若者達と同様に青春を謳歌しようと、いくらか気楽だったんだわ。
それでも――。
あの人にたいしての思い出だけは、決して色褪せることなく私の胸に残ってる。
あの、惜春通りの面影だけは……。
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