序章 最後の平穏

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夏は好きだ。   暑くて汗が滴るのは少し気持ち悪いが、それでも寒いのよりは遥かにマシである。   理想を言えば秋が来る直前の夏が最高だろう。風も心地良く、湿気も直に感じる程強くない。   だがこの季節にも欠点はある。それは温度変化が激しいことだ。   生まれつき腸が弱い俺は、すぐに腹痛を起こす。   「ふぅ……」   便所に篭ること二十分、腹もようやく治まり、反射的に安堵の一息を吐き出した。これで今日一日は大丈夫だろう。   「あ、闘刃君」   手を洗い、廊下に出た瞬間に誰かから声をかけられた。   いや、誰というかこんな呼び方は一人しかない。   「若菜か」   肩にかからないくらいの髪をした、低身長の童顔。最近は前髪に髪留めをつけているが、それ以外は当初から何も変わっていない。こうして俺のことを君付け呼ばわりするのも含めて。   「また図書館ですか?」   「また、は余計だ。そっちは?」   「訓練です。今日は泪と」   「よくやるな……」   特殊部隊との戦いが終わって早一年が経とうとしている。その間は隠力者の犯罪も軽減し、執行委員会の活動も緩やかな一線を辿ることとなった。   それでも若菜はあれ以降も毎日のように自主的な訓練に明け暮れている。   「やり過ぎじゃないか?」   「そんなことないですよ。私もまだまだですから」   若菜の足どりは心なしか軽い。強さを追い求めているのは以前と同様だが、そこに焦りや緊迫感は全くない。彼女なりに楽しんでやっているからなのか。   闘争心が皆無な俺にはよくわからない部分だ。
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