フランスの動き

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さてナポレオン3世が、セダンの戦いで捕虜になり退位したあと、1870年9月フランス臨時政府が成立します。 怒濤の勢いで進撃してくるドイツ=プロイセン軍に勝てる見込みはないと判断した臨時政府は、翌1871年2月にドイツと仮講和を結んで降伏しました。 ここまでは以前の復習です。 もう少し深く説明していくとこの後ヨーロッパ中が注目する大事件が発生した。 それが『パリ=コミューン』です。 (゚Д゚*)ノ パリ市民 「ゴラァ!なに勝手に降伏してんだよ!ヴェルサイユ宮殿で戴冠式をやっとのも許せない…賠償金も領地の割譲も全部屈辱だこらぁぁぁぁ!俺たちはまだ戦えるんだよ!!!」 そう考えたパリ市民が1871年3月、臨時政府に反乱を起こしたのです。これが『パリ=コミューン』です。 なのでもうお分かりのとおり、フランスには2つの政府ができてしまいました。 臨時政府とパリ=コミューン。 パリ=コミューンは労働者の政府であるので史上初の社会主義政権とも言われています。
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