ロシアの動き

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ところが、1831年から33年までと、1839年から1840年の二回にわたってエジプト・トルコ戦争という戦争がおきて、この時にオスマン帝国は、ロシアに軍艦の通航を許可するのです。  エジプトはもともとオスマン帝国の領土ですが、ナポレオンのフランス軍に一時占領されたあと、総督のムハンマド=アリーという人物が、オスマン帝国から事実上独立した。そして、さらに領土を拡大しようとしておこした戦争が、『エジプト・トルコ戦争』といいます。 エジプトは、連戦連勝。しかも、そのバックにはフランスがついているのです。 ( -ω-)フランス 「ククク、エジプト援助して利権拡大するぜ…」 そういう目的で。 (m-_-)mオスマン帝国 「ちくしょう!こうなったらロシアを味方につけるか。軍艦通航権を与えるっていえば、飛びついてくるだろう…」 柱|皿 ̄)qイギリス 「ちょっとまてよこらwうちらほっといて利権拡大なんてゆるさねぇよ?w」 エジプトが勝てばフランス、オスマン帝国が勝てばロシアが、この地域に勢力を拡大することになる。 それをおそれたイギリスが、この戦争に介入してくる。当時イギリスが最強ですし、外交手腕も抜群でした。だから、最後はイギリス主導で戦争の決着がつけられます。 結局エジプトは占領した領土をオスマン帝国に返す。そのかわりムハンマド=アリーの一族がエジプト総督の地位を世襲することを認められる。事実上のエジプト王国です。 オスマン帝国に対しては、ロシアにあたえた海峡の軍艦通航権を取り消させました。結局、ロシアの南下政策はイギリスによって挫折したのです。 (*・∀・)ノエカチェリーナ2世 「…イギリスの野郎…」 この間、1838年、イギリスはオスマン帝国と不平等条約を結んでいます。イギリスもオスマン帝国を狙っているのです。 なのでイギリスとロシアは利害対立を起こします。 みなさん中学校で習いましたよね? これがきっかけで『日英同盟』が結ばれるんです。 ここめちゃくちゃおもしろいですね!
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