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1853年から56年にかけて、ロシアとイギリス、フランス、オスマン帝国のあいだでおきたのが『クリミア戦争』です。
オスマン帝国は、現在のルーマニア、ブルガリア、セルビアなどがあるバルカン半島を支配していました。ここは、キリスト教のギリシア正教の信者が多数。そして、ロシアはギリシア正教徒の保護者であると自認しているので、保護権を要求した。
ここはわかりずらいですね。
おそらく世界史Aではでてきません。
そのことによって、バルカン半島に勢力を拡大しようとしているわけです。オスマン帝国としては、ロシアが自国の領土に干渉してくることは、当然拒否する。そこで、戦争となった。
すぐに、ロシアの南下を阻止したいイギリスとフランスが、オスマン帝国と同盟を結び、参戦します。
また、イタリア半島の小国サルディニア王国も、英仏側にたって参戦しました。
この部分はどことどこの国が手を結び戦争になったかを覚えておけばいいかもw
この戦争は、産業革命によって工業化を進めつつあるイギリス・フランスと、遅れをとったロシアとの力の違いをはっきりと世界にしめしました。
ロシアは大苦戦して、
1856年『パリ条約』で事実上敗北を認めた。
1856年、パリ条約で戦争は終結します。黒海の中立化によって、軍艦の航行は禁止され、ロシアの南下政策はまた挫折してしまいます。
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