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クリミア戦争の敗北は、ロシアにとって大ショックでした。クリミア戦争を始めた皇帝ニコライ1世は、戦争中に亡くなっていますが、死因は薬の飲みすぎ。戦況を苦にして、事実上の自殺ではないかといわれています。
ニコライ1世の跡を継いだのが、『アレクサンドル2世』。
ヘ(゚∀゚*)ノアレクサンドル2世
「つか、兵もうちらのが多かったし地理的にも有利だったのになんで負けたんすかww?」
答えは簡単で、イギリスとは政治経済制度が全然違う。イギリスは、すでに工業社会にはいっているのに、ロシアではまだ農奴制がつづいているのです。
そこでアレクサンドル2世は自由主義的改革をはじめます。
アレクサンドル2世の自由主義的改革の目玉が、1861年の『農奴解放令』。
当時ロシアには2000万の農奴がいた。かれらが自由な市民となり、ロシア国民としての自覚をもつことでロシアは生まれ変わることができると皇帝は考えた。
(ノ∇≦*)貴族
「農民?あんなん解放するわけないじゃんw」
実際に農奴を支配している貴族たちは、本気で農奴を解放する気はなかったので、形だけの解放になってしまいます。
身分は自由になっても、土地は貴族のものですから、結局変化はない。
農奴解放といわれて期待していただけ、農民の失望と怒りは大きくて、農民一揆が続発します。
ヘ(゚∀゚*)ノアレクサンドル2世
「おい!せっかく自由を与えたのになんでそゆことするの?」
ヘ(゚∀゚*)ノアレクサンドル2世
「もぅ!やめだやめだ!自由主義政策なんてくそくらえだ!」
結局アレクサンドル2世は、自由主義的政策をやめて、180度方向転換。ツァーリズムとよばれる皇帝による専制政治を一層強化していきました。
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