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しかし、西ヨーロッパの自由主義的政治体制を理想と考え、ツァーリズムに反対する知識人や学生が、当時のロシアにはある程度生まれていました。
そりゃそうですよね。
イギリスやフランスに留学して、ロシアの後進性を肌で感じている人が結構いるのです。こういう知識人のことをロシアではインテリゲンツィアという。略してインテリ。日本語になっていますねw豆知識w
こういう反体制派のインテリたちが、政治改革をめざして1870年代から80年代にかけておこなったのがナロードニキ運動です。
『ヴ=ナロード(人民の中へ)』というスローガンをかかげたのでナロードニキ運動という。
政府によるナロードニキ運動に対する弾圧は激しく、逮捕された若者の多くがシベリアに流刑になった。農民の支持を得られなかったナロードニキ運動は、80年代を過ぎると衰えていきます。
そのなかで、一部の活動家は、テロリズムに走りました。
ついに1881年、アレクサンドル2世は、乗っていた馬車に爆弾を投げつけられて命を落としました。
ヘ(゚∀゚*)ノアレクサンドル2世
「グスン…なんでだょぅ…」
でも皇帝を殺しても何にも意味がない。
だって次の皇帝が専制政治を続けるだけなんですから。
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